Canonical なはなし

先日北大を訪れたときの話。

某Y先生の話によると線形代数の試験で V と ( V^* )^* は同型であることを示せ、という問題の正答率が極端に低かったという。もちろん西山はここですかさず、

どっちも同じ次元だから同型じゃないんですか?

という古典的なボケをかましたが、まぁ、そこはそこ、Y先生はきっぱりと「キャノニカルでないものはだめです」と宣言された。あー、ところで北大のY先生では人物が特定できないですね。ポケモンのカラオケを歌える方のY先生です、もちろん。最近は 「だんご三兄弟」が大流行で三日で110万枚売ったとか、幼稚園では保護者が合唱させられているとかという話を耳にする。今度北大に行ったときには「だんご三兄弟」のカラオケに行きましょう> Y先生

さて、そこでこの「キャノニカル」ですが、もちろん別にキャノンの作った機械製品の名称なんかではない。詳しくは「数学のたのしみ/対称性を探す(?だっけ?)」のO先生(伏せ字にする必要はないな、まったく)の論説を参照されたいが、雰囲気は何となく分かるものの、関手的で、自然変換とか言われてもカテゴリカルでない私にはなじみは薄い。

こんな調子では Y先生の線型代数すら合格が危うい。そう言えば、その問題の模範解答を聞いてくるのを忘れた。こんな調子では遺憾。ああ、そうそう、たしか 佐武先生の本 に出てくる学生の人も「いや、その同型はキャノニカルじゃないから…」なんて発言をしてたなー。学生は普通こんなこと言わないもんだと思ってた。(なめてますね、ほんとに)

そこでちょっと夢想してみる。

もともと集合論では… あ、カテゴリカルではないのですが、集合論は何となく使える私です。でも何の反省もありませんけど。ま、カントール時代の集合論と思ってください。 で、集合論ではその創始者カントールは実数の集合が自然数の集合より「大きい」ことをいわゆる対角線論法で示し、次に同じ論法で平面と実数を比べようとすると、それが「同じ」であることにビックラコイタ。

と、ものの本に書いてあります。ちょっと今定かではないが、講談社新書から出ている 「無限論の教室」(野矢茂樹、講談社現代新書)がその種本。で、その本では

濃度では次元は区別できないんですよ、これはコマッタ

というぐあいなことが書いてある。あ、これって何かに似ている。ああ、そうそう、あれ、 あの発言 です。 そうか、じゃあ私は少なくとも同じ濃度の中では次元を区別してたんだから優秀。ん? でも何だか違う。

だいたい濃度で次元が区別できなくったって一向に構わないけど、じゃあ

次元てなに?

と聞かれると、はて、なんだったっけ? こりゃやっぱりベクトル空間としての次元、基底の個数をもととしているとしか考えようがない。いくら多様体であろうと、代数多様体であろうともとをただせば同じこと。もっともいかな私でも、「次元が同じなんだからこの多様体同型でしょ?」とは言わない(けれど、ある種の真実性はある)。

だから集合論で次元をうんぬんするのが元々間抜けだったわけである。ああ、カントール大先生を間抜け呼ばわりするとは、大それたことをしてしまった。ついでだから「無言論の教室」にも言及すると、集合論ばかり考えているのに、犬とかキリンとかで区別しようとするから無理が生ずるのではないのか? あたかもすべての概念が集合論から発生するというような幻想(ゲーデルの不完全性定理を含めた幻想)がどうも数学者にはいただけない。でもおもしろい本です、ご一読下さい。あ、無言論じゃなくて無限論ですね。

んでもってきゃのにかるを理解しない人たちは(私を含めて)単にベクトル空間しか知らないから、つまり他の構造(線型写像とか、ま、そういったもの)を考えないので、つい V と V^* は同型だと言ってしまうらしい。ま、カントール時代のベクトル空間ですな。

実際のところ m × n 行列の空間 M(m,n) に群の作用を考えようとする。これはベクトル空間になんか更なる構造を与えようとすることである。作用は線型、群は一般線型群とする(それ以上の口頭技は私には無理である)。それにしたって作用の仕方はありすぎて困る。

g X g^{-1}, tg^{-1} X g^{-1} , g X tg , tg^{-1} X tg

これが次の同型とどう対応するか即座に分かる人はどれぐらいいるのだろうか? もちろん計算すりゃ誰だって(?)分かるけど。

M(m, n) = C^m \otimes C^n , ( C^m \otimes C^n )^* , ( C^m )^* \otimes C^n , C^m \otimes (C^n)^*

これに加えて順番を入れ替えたテンソル積もあるのだから始末が悪い。量子群なんかだったら全部違ったことになるんでしょうね。ああ、そうそう他にも複素共役なんて言う凶悪なのもありますよね。ユニタリ群なんか考えているともう転置も複素共役も逆行列も区別つかなくって困っちゃう私です。 もちろん正当な人たちはこんなこと考えもしないで、いや、君、そりゃ行列では

常に M(m, n) = C^m \otimes (C^n)^* ですよ、それしかあり得ない。

てなことをのたまうに違いない。これは実は私の好きな解決方法です。ああ、キャノニカルからどんどんはずれていく。

数学的な対象は今や陰伏的な様相を帯びはじめ、あたかもインフレーション宇宙のように無だと思っていた空間に、忽然とある種の整然とした関係が生じようとする。結局のところキャノニカルとはそのような関係とかそのもの自身の浮かび上がってきた性質、そのもの自身が鏡のような面に表す影を捉える言葉で、その予定調和を崩そうとするのが 前述の言葉 に違いない。

要するにキャノニカルでない私は、真空のエネルギーを得てそこに何が生じようとしているか、そのものの真言(マントラ)は何なのかが分からず単にうろたえて「次元」を引っ張り出すことになる。でも、まぁこんなこと考えてると線型代数の単位はとても取れそうにないっすねー。学生でなくてよかった。

ちなみにリーダーズ英和辞典によると

ca・n'on・i・cal :
a.
1 正典と認められた; 教会法に基づく; 司教座聖堂参事会員の; 【楽】 カノン形式の.
・the 〜 books (of the Bible) 正典.
2 規範的な; 最も簡単明瞭な図式にした.
n. [pl.] 《正規の》 聖職服, 法衣.

ああ、そうか、要するにカノンなんですね。どうりでゲーデルが陰から狙ってると思った。

Wed Mar 10 15:56:49 JST 1999
Wed Mar 24 16:25:05 JST 1999 (revised)