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愛があればだいじょうぶ

6月出産予定のO氏に捧ぐ

二匹の悪魔のような子供たちの世話をしながら数学をやっていて、ようやく分かったことが一つ。 要するに「愛」ってーのは、

どれくらいそれに時間をかけるか

ということであるということ。 今更そんなこと言ってんのかと言われそうですが、 子育てをする前には、そんなことを考えたりしなかった。 もちろん(?)結婚するときでも。 もっとも「恋」と「愛」はかなり違うもんだから、まぁそれは当たり前かも知れない。

なんでそんなことを考えるようになったかというと、子供たちに取られる時間が大きくなって、 数学の勉強をする時間が大幅に制約されるようになったから。 それまでは、好きな読書をやっていても、ゲームをしてても、こうやってせっせとホームページを充実させていても、 自分の気の向くままにやっていたので、 数学の勉強時間を削っているという気持はほとんどなかった。

ところが、 こっちは数学やっていたいときでも子供たちは容赦なく押しかけてきて、あなたに「愛」を要求します。 これは、まぁ、新鮮な体験でした。なにしろ

数学は向うからやってきてあなたに「愛」を要求することはありません

から。(まぁ、たまにはあるかも知れないけど)

F. Kirwan が書いたエッセイに Halmos の言葉が引用されています(以下孫引き)。

..., to be a mathematician you must love mathematics more than family, religion or any other interest: "...(中略)... A spouse unsympathetic to mathematics demands equal time, a guilty parental conscience causes you to play catch with your boy Saturday afternoon instead of beating your head against the brick wall of that elusive problem ...(中略)... What I am saying is that to the extent that one's loves can be ordered, the greatest love of a mathematician (the way I would like to use the term) is mathematics. ...(中略)... "
F. Kirwan, Mathematics: The Right Choice? in "Mathematics : frontiers and perspectives", V. Arnold ... [et al.], editors, American Mathematical Society, 2000, pp. 117 - 120.

spouse unsympathetic to mathematics にはちょっと苦い笑いを誘うものがありますし、 そうか、「愛」は測れるのかと妙に納得したりしますが、 それはそれとして、この Kirwan のエッセイは数学を愛するものにとって一読の価値があります。おすすめ。

それで、最近は、つい「数学」にかける時間と他の行動(趣味とか、ゲームとかTVとか、映画とか、はたまたHPの充実とか)の消費時間を天秤にかけてしまうようになってしまいました。 残された

時間は「有限」

なのに、人生いろいろ誘惑が多い。 おまけに、だんだんこれが高じてくると、アイデアが浮かんだ瞬間だけが数学なのか、講義の準備は数学なのか、趣味で読む数学書は数学なのか、論文書いてるときは数学なのか... と果てしなく疑問が浮かんで、退場までの残り時間を計算して青くなったりしてます。
まったく、「数学」を愛するのも、子供を愛するのも、大変です。

ところで、あなたは「数学」を愛していますか?
子供を愛してますか?

[Tue May 29 18:01:31 JST 2001]