コンピュータ

最近の計算機は賢くなって、ま、大学の初年級の計算ならすべてやってくれる。 学生より確実に賢いという状態です。 で、この前工学部の先生と話していたときに(工学部との数学基礎教育懇談会というのがあるのである)、

「数学教えるより計算機の使い方を教えた方が、どのように計算するか分かるし、誰でも計算できる、計算する楽しさもあるから、いいのじゃないでしょうか?」
という主旨の発言があった。

一昔前(大昔前?)に電卓が出たとき、「これで面倒な計算はしなくて済む、そろばんも要らない、学校で計算を教えるのはやめて電卓を教えなさい」というような風潮がありました。これって似たようなことですね。

それはさておき、数学の専門でも最近はグレーブナ基底とかで代数幾何をやっちゃおうと言う話もあってその手の講義も各大学で行なわれているらしい。最終的にはコンピュータが計算をしてくれる。 現在これに手を貸すべく、その手の翻訳にいそしんでいるところですが、なんかモヤモヤしたものがある。

確実に言えるのは、

「初心者はコンピュータに劣る」

ということ。つまり人間としての尊厳を維持するためには、コンピュータを無視するか、あるいは奮励努力してコンピュータを上まらなければいけない。 あるいは大昔なら、単に数表とか、関数値を一生懸命計算して、それをまとめれば業績になった。 しかし今はそれは業績でも何でもない。キーボードをしばらく叩けば、必要な数値は全て得られる。

よく言えば数学者は面倒な計算から解放されて、物事をより深く考えられるようになった。

反面、コンピュータより優れているということをアピールするためには多大な努力を必要とするようになったわけです。

もう少ししてコンピュータが本気で考えるようになったら、専門の人間にはかなわないとしても、素人なんかよせつけなくなるでしょう。 学生は

「自分が人間であること」を証明する

のに困難を感じるかも知れない。 コンピュータの存在が我々をせき立て、ますます忙しくなる。

佐藤先生のおっしゃるように、「数学者は実験者たれ」というのはもっともだと思うし、その意味ではコンピュータが使えるのは意味があると思うんですが、さて、これから21世紀に入っていったいどうなっていくのでしょうか?

これを書こうと思ったのは、大学初年級の数学(数学基礎教育、と最近は呼ばれるようになってきましたね)を教えていると、学生たちの中に、進んで人間であることを放棄して計算機になってしまいたがる傾向を多く認めるようになったからです。

具体的な症状は、「答えを教えてください、覚えますから」、「解き方を教えてください」、「考えるのが面倒なんです」、「証明は面倒くさいからいやです、定理が使えればいいんじゃないですか?」といったもの。まだまだ症状はあるかもしれませんが、きっと教師の方は多かれ少なかれ体験しているでしょう。

理由はいろいろ考えられます。大学入試を含め、社会的な要請が「答え」を要求すること。いろんなことのマニュアル化(「スマイル一つ下さい」ってやつ)。TVゲーム(これって要するに形式を踏めば、クリアできるんですよね)。

それに加えて上で書いたような、「すでに様々な面でブラックボックスにかなわない」社会の現実があるのかも知れない。 計算機が優れているのだから、人間になることは極力やめて計算機になろうとする。 いろいろストレスがあって最近の学生たちは少しかわいそうだなぁ、というのがそもそも考えたことなのでした。

[Mon Jun 14 10:19:48 JST 1999]


数学

数学もコンピュータと同じく日々進歩して、今世紀(20世紀です、2年後のために書いておこう)に入ってからの数学の発展はそれまでの2000年間を遥かに凌駕していると思います。さて、数学は進歩して人間は総体としては賢くなり、フェルマーの定理も自信を持って宇宙人にその正しさを保証できるようになった。

では、果たして個人はどうなんでしょうか?

ここに「分数ができない大学生」(岡部恒治/戸瀬信之/西村和雄、東洋経済新報社)という本があります。 これによると

「(有名私大の)大学生のうち10人に2人は小学生の算数ができない」

ということ。 この本に言及するまでもなく、今や、大学生が数学を学ぶ上での壁というか、困難さは類を見ないほど増していると言えます。 こと初等数学に限ったことではなく、専門数学に進む際にも、要求される基本的知識は増大の一歩をたどっている。

コンピュータと同じことで、数表とかあるいは関数等式の類いはすでに一般論に含まれ、それらをコツコツとやったところで業績にはなりにくい。なかには手厳しい人で「そう言うのは別に数学じゃないからいい」という意見もあるでしょうが、 そういう周辺のコツコツやるタイプの人が数学を支えている部分はあると思う。全部が天才だったら大変です。 論文の reject の理由にも「それはすでに一般論で分かっている(から計算しなくてよい?)」というのがあるようです(間接話法)。

「関数等式」からは「ゼータな関数等式」は省きましょう。(^^;;;
他にも省くべき関数等式はあるかも知れないけど。要するに西山のタワゴトですので、関係者はあまり気にしないようにお願いします。

で、同じことですが、数学者は数学に追い立てられている。 数学者の殆んどは大学等の研究機関に属していますが、そこでは研究業績が求められる。 しかし数学自身はどんどん高度化し、研究課題はあるものの、一部のものしか理解できないような領域にさえ突入しつつある。 これで「研究成果を社会還元せよ」なんて言われるともう笑っちゃいますね。

堀田先生が「このような入門書で合同ゼータ関数に関する Riemann 仮説の類似まで紹介できるようになった20世紀後半の数学の進歩の目覚ましさに改めて感銘を覚える」と記されていますが、これが学部の教科書になっているわけです。 このような「入門書」が現在20冊強出ていますが、 数学の教師(私のことですが)がすでに入門書の内容をことごとく理解し、 それを自由自在に使えるかというとそうでない。

なかには「ガロア拡大は全て有限次拡大である」とか、「ゼロ次元のベクトル空間なんて存在しない」なんていう狂死も出てくるし、 ピーター・ワイルの定理は知っているけどユニタリ表現は知らないなんている学生も出てくる。 そういえば「アーベル多様体なんて、可換なんだから簡単なんでしょ?」というのもあったような。 人のことは言えないけど「このWeil群って、Weyl群の間違いなんじゃないですか?」という質問も整数論の学生さんであるらしい。

改めて現在の数学の学生たちの困難さ、つまり

数学者としての identity の確保の困難さ

を痛感します。

Fri Jun 11 12:07:12 JST 1999